「にっぽん風景なび」は、日本各地の魅力をテーマにした写真や風景画を地図上にプロットするスマートフォン向けのアプリです。地域自慢の美しい風景や往時を偲ばせる昔の写真、そしてその場所が描かれた風景画などをご覧になりながら、実際の風景と見比べながらの街歩きなどにお役立てください。
本アプリに表示される写真や風景画の情報は、ミュージアムや各機関の地域情報データベースと連携していますので、気に入った場所があれば、詳しい情報にアクセスできるものもあります。情報提供館・機関は順次増えていく見込みですので、ときどきアクセスし直してみてください。スマホの画面の中には、きっと新鮮な風景が待っていてくれることでしょう。
「日本には、まだまだ知らない美がたくさんある」ということを、私たちがより深く共有する一助となることを願って開発したアプリです。各地の街の魅力再発見に、旅のお供に、ぜひご活用ください。
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札幌市
https://www.city.sapporo.jp/shimin/bunkazai/index.html
札幌市には、明治期に北海道開拓の中心地となった歴史があり、その結果生まれた文化財が多く残されています。例えば、当時先進のアメリカ風の建築様式を取り入れつつも、日本の文化に合わせてつくられた「和洋折衷様式」の建物や、開拓と北方の防備を担った「屯田兵」にまつわる建物・史跡などがあります。 また、無形の文化財ではアイヌ民族の古式舞踊や、富山県から移り住んだ人たちによって伝えられた獅子舞、自然物では都心に隣接する原始林、古い時代の遺物では、縄文時代の遺跡から出土した土偶や土器などもあります。
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茨城県水戸市
水戸徳川家ゆかりの地として、水戸黄門(徳川光圀)や偕楽園で知られ、毎年2、3月には水戸の梅まつり、8月には水戸黄門まつり、9月には水戸萩まつりが開催されます。
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千葉県野田市
千葉県の北西(チーバくんの“鼻”のところ)に位置する野田市は、東を利根川、西を江戸川という大きな河川に挟まれています。明治時代には利根運河が開通し、現在のように、周囲を河川に囲まれた姿となりました。豊かな水のめぐみを受けて江戸時代から醤油醸造業が盛んとなり、企業城下町として発展をとげた歴史を持っています。また、利根川と江戸川の分流点に位置する関宿地区には河川水運の要地として関宿城が構えられていました。地図上での気軽な“今昔散歩”をとおして、野田の歴史に親しんていただければ幸いです。
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埼玉県桶川市
https://www.city.okegawa.lg.jp/soshiki/kyoiku/rekishi/index.html
【桶川市歴史民俗資料館】 桶川市は、埼玉県のほぼ中央、すなわち県央に位置する街です。昭和45年に市制を施行し、25.35k㎡の市域に75,000人ほどの市民が暮らしています。 地理的には、関東平野に浮かぶ島のような大宮台地にあり、市域の東西をそれぞれ元荒川と荒川に接しています。 この台地と川の恵みを受けながら、桶川市は原始古代から人びとの暮らしの舞台となり、縄文時代の後谷遺跡や古墳時代の熊野神社古墳の出土品は国指定重要文化財となっています。 江戸時代には、江戸と京を結ぶ中山道の宿駅が設けられ、江戸から十里に位置する桶川宿は旅人や産物が行き交い繁栄しました。 文久元年(1861)、中山道始まって以来の大通行となった皇女和宮の江戸下向では、桶川宿の人びとは力を結集して一行の宿泊と行列を江戸まで送り届ける大役を果たしました。 また、桶川宿近くの村で栽培された紅花は桶川宿の紅花商人の手を経て京へと運ばれていきました。 桶川市歴史民俗資料館は、平成4年(1992)の開館以来、「台地と道」をテーマとして活動しています。「台地」とは文化を育む生活の舞台を、「道」とは文化をより豊かにする文物の交流を意味します。 インターネットという現代における道をとおして、中山道桶川宿の歴史と文化についての情報を発信する試みが、桶川を訪れる皆さんとの新たな出会いとなることを願っています。
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東京都北区
https://www.city.kita.tokyo.jp/hakubutsukan/
東京都北区は東京23区の北部に位置し、南西側には武蔵野台地の北東端、北東側には東京低地が広がる起伏に富んだ土地です。 この地域では約3万年前から人の暮らしが営まれ、長い歴史が積み重ねられてきました。現在も街のなかに、古代の貝塚や遺跡、古い寺や神社、近代の庭園など、各時代の史跡や名所が随所に残されています。 また、花見の名所として知られる飛鳥山には「飛鳥山3つの博物館(紙の博物館・北区飛鳥山博物館・渋沢史料館)」があり、この地域の歴史・文化を幅広く知ることができます。 ぜひ北区で街歩きや史跡めぐりを楽しんでみてください。
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神奈川県川崎市高津区
http://takatsufurusato.sakura.ne.jp/
高津区は、神奈川県川崎市を構成する行政区のうちの一つです。溝の口駅(東急田園都市線)・武蔵溝ノ口駅(JR東日本南武線)駅周辺を中心として再開発され、川崎市中部の中心商業地として発展しています。高津区ふるさとアーカイブで収録した区の歴史を物語る写真資料のうち、撮影場所が分かっているものを順次公開しています。
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新潟県立歴史博物館
新潟県立歴史博物館は、新潟県の歴史・民俗を総合的に紹介する歴史民俗博物館としての性格と、全国的・世界的視点から縄文文化を広く研究・紹介する 縄文博物館としての性格をあわせ持った博物館です。また、県民の生涯学習の拠点施設として情報や活動の交流に重点を置く情報発信性の高い博物館です。
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新潟県柏崎市
https://www.city.kashiwazaki.lg.jp/
新潟県のほぼ中央に位置する柏崎市は、日本海に面した42㎞に及ぶ長い海岸線と、民謡「三階節」で名高い霊峰米山をはじめ、黒姫山・八石山・西山連峰を有しています。また、国指定・重要無形文化財「綾子舞」が伝わる鵜川、棚田やかやぶき集落で知られる高柳、古くから石油の採掘が知られている西山など恵まれた自然や景観・伝統文化・歴史に育まれたまちです。
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石川県小松市
http://www.kcm.gr.jp/hakubutsukan/
日本列島の中間に親指のような形に飛び出しているのが石川県です。小松市は、その石川県の南部にある人口約10万人の都市です。古くは、弥生時代にものづくりの巨大な集落が営まれ、江戸時代には、加賀藩三代藩主前田利常の隠居地として整備されました。現在でも古い寺社や家並みが残り、お茶や生け花などをはじめとした日本文化が、脈々と生活の中に息づいています。明治~大正は、鉱山の町として、現在では、機械メーカー「コマツ」を主とした工業の町として知られています。 また、水と自然にもめぐまれ、そこから産まれる「食」を味わい、「温泉」・「海」・「山」が気軽に楽しめます。かつては水運、現在は、空港や鉄道などの交通が発達し、物流や人が交流する町でもあります。 そんな小松市の「今とむかし」を資料といっしょにお楽しみ下さい。
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FUKUI MUSEUMS
「FUKUI MUSEUMS」は、福井県立歴史博物館、福井県立美術館、福井県立若狭歴史博物館、福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館のコレクションを厳選して紹介するデジタルアーカイブです。 歴史や美術、考古資料のほか、地域のお祭りや昔の写真など様々な資料を地図からお楽しみください。
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江戸時代の福井城と城下町
http://www.history.museum.city.fukui.fukui.jp/
幕末期の福井城内・城下の風景(25場面)を描いた画帖「福井城旧景」。福井城の城郭・城門、武家屋敷や、城下の南を流れる足羽川に架かる九十九橋などが描かれています。この資料は旧福井藩士大越家に伝わり、後に越前松平家の所蔵となった「福井城郭各御門其他見取絵」を、昭和2年に郷土史家の山下与平が模写したものとされています。
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愛知県知多市
http://www.city.chita.lg.jp/docs/2013121600071/
知多市は愛知県知多半島の北西部に位置します。 漁村・農村から梅林や海水浴場の開発、臨海部の埋め立てによる工業化と発展を遂げてきました。 ここでは、知多市歴史民俗博物館が所有する古写真を順次公開しています。
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京都府向日市
https://www.city.muko.kyoto.jp/kurashi/bunka/
【向日市文化資料館】 向日市の名前は、今から400年と少し前、豊臣秀吉の時代に、向日神社の門前にできた町場「向日町」に由来します。それからずっと向日町は、桂川から西山にかけての乙訓地域における、商業・文化の中心地としてにぎわいます。明治22年(1889)には周辺5カ村と合併し、昭和47年(1972)にはそのまま市制へ移行して向日市が誕生しました。向日市では今でも親しみをこめて「むこうまち」と呼ばれます。長岡京跡をはじめとして、市内各地に歴史ある場所が点在しています。
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愛媛県上島町
https://www.town.kamijima.lg.jp/
上島町は、愛媛県の北東部、広島県との県境に位置し、瀬戸内海のほぼ中央に浮かぶ上島諸島及び魚島群島で構成されています。瀬戸内海国立公園区域内にあり、穏やかな海と多島美が町の大きな魅力です。 島々は、中世には京都東寺や石清水八幡宮の荘園となり、年貢として塩を納めました。東寺百合文書に記録が残る弓削島荘は「塩の荘園」として知られています。 江戸時代には、松山藩及び今治藩に属し、瀬戸内海航路の要衝であった当地域は、港を中心に商業や廻船業でにぎわいを見せました。特に岩城島は、松山藩東端の重要港として整備され、港の近くには島本陣が置かれました。 その後、造船業を中心に発展を続け、現在は第1次産業の農業や漁業も盛んに行われています。
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山口県岩国市
https://www.city.iwakuni.lg.jp/site/chokokan/
岩国市は、大和朝廷の時代に山陽道の駅家が設置され、国司等の役人や大陸への外交使節の往来が盛んに行われました。 現在の街の原型が形づくられたのは、関が原の合戦の後、出雲の国富田月山城(12万石)から岩国3万石(後6万石)に移封された「吉川広家」の築城以降のことであり、吉川家がこの地を治めつづけた明治維新まで、城下町として発展してきました。岩国藩は、藩政の方針として文武両面の振興と人材養成、文化の向上を掲げるとともに、2千余町歩に及ぶ大干拓を行い、産業の振興と勤勉貯蓄の美風に努めました。また、進取の気性を持つ気風の下、錦帯橋の架橋、岩国半紙の専売など、様々な事業がなされ、山陽道諸藩の中でも特色ある藩として知られるようになりました。 明治維新後、錦川の豊富で良質な水と、藩政時代に創出された河ロー帯の干拓地を活用し、「工業都市」としての基盤を整えることで、帝国人造絹糸(現・帝人)の東洋一の規模を誇る紡績工場や、東洋紡績、山陽パルプエ業(現・日本製紙)などの工場が進出しました。また、国際情勢の推移に伴い、干拓地の一部に、陸軍燃料廠、海軍航空隊が置かれ、「軍需産業都市」としての面も有するようになりました。 戦後、平和産業への転換を図り、瀬戸内海臨海工業地帯の一翼を担う工業都市として高度経済成長を支える一方、錦川の清流や錦帯橋に象徴される名勝・史跡等に恵まれた観光都市、基地のある都市などの多面性をもつ都市として発展を続け、現在に至っています。
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野田宇太郎文学資料館
http://www.library-ogori.jp/noda/
野田宇太郎は明治42(1909)年、福岡県小郡市に生まれました。詩人・編集者・近代文学研究者として活躍した人物です。野田が「文学散歩」の執筆や近代文学研究のために収集した約3万点の蔵書は、野田の遺言によって小郡市に寄贈され、昭和62(1987)年 野田宇太郎文学資料館が開館しました。野田の貴重な資料は今も文学研究に役立てられています。
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鹿児島県天城町(徳之島)
https://www.yui-amagi.com/modules/pico/
鹿児島港から468キロメートル、南西諸島、奄美群島の中央に徳之島があります。 徳之島は、周囲84キロメートル。天城町は、徳之島の北西部にあって、ほぼ徳之島の西半分を占めています。亜熱帯気候をいかしたサトウキビ栽培を中心として、バレイショやサトイモ、マンゴーやビワ、メロン、タンカン等の果樹園芸が盛んに行われています。 トライアスロンin徳之島で有名な天城町は、鉄人たちの島とも言われ、自然そのものがスポーツに最適な環境です。 陸上・球技・水泳のトレーニングや合宿に向いており、宿泊施設・競技施設が完備され、マリンスポーツも楽しめます。 写真は、天城町歴史文化産業科学資料センター「ユイの館」です。天城の自然、文化、歴史に触れにぜひお立ち寄りください。
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佐賀県多久市
新日本歩く道紀行100選認定の多久<龍孫の郷>散歩道。 その基本コースとなります本道(ロングコース)は、多久聖廟参道入り口に面した多久市物産館「朋来庵(ほうらいあん)」の敷地広場よりスタートします。 日本三大孔子廟の一つと謳われる、国指定重要文化財「多久聖廟」が鎮座する昌平山(旧椎原山)ふもとの緑豊かな景色と、近世佐賀藩多久領の領校「東原庠舎(とうげんしょうしゃ)」の旧跡広場を眺め、聖堂大路(おおじ)を一路西に進み、近世多久家の城下町の中心へと向かいます。 途中、日本考古学協会により昭和35年に特別調査が行なわれ、九州の先土器文化解明の口火を切り学史にのこる三年山遺跡を通り、多久の歴史を記した陶板が並ぶ「歴史の散歩道」や、梶峰城(中世山城)廃城後の執政所「御屋形(おやかた)」の跡地を望む「御屋形広場」を過ぎ、春は桜、秋は紅葉と四季折々の彩りが楽しめます「西渓(せいけい)公園」を訪れます。 明治の炭鉱王「高取伊好(たかとり これよし)」の貢献により、旧家老屋敷跡を整備公園化した西渓公園の周辺には歴史的建造物や資料館などがあり、静かな時に浸ることができます。 歩く道の名の「龍孫(りゅうそん)」とは大正15年春、高取翁が多久領主子孫の多久男爵夫妻に奉じた漢詩に詠まれた言葉です。 城下町では主に近世の城下古地図に残る道を歩き、多久城下が舞台の歴史や伝説にまつわる社寺および旧跡を巡り、また多久領出身の人物の碑や、文教の里の町並みをご案内します。 コース最後は「多久聖廟」とその周辺を見学いただきます。宝永5年(1708)、儒学の祖孔子と四配(四哲)を祀り300有余年、創建以来の佇まいと絶えることなく続く祭り「釈菜(せきさい)」の伝統を伝える風情をごゆっくりご堪能ください。